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花の名山めぐり 〜 八 幡 平 〜


7月24日(火) 晴れ

[ 行程 ]
八幡平温泉 K23 ==> 茶臼岳登山口 K23 ==> 見返峠 ==> 鏡沼・メガネ沼 ==> 八幡平山頂 ==> ガマ沼 ==> 八幡沼 ==> 源太森 ==> 黒谷地湿原 ==> 茶臼岳 K23 ==> 大沼 K23 ==> トコロ温泉 R341 ==> 田沢湖橋・田沢湖 K127 ==> 田沢湖高原
 (注) 道路番号の「R」は国道、「K」は県道。道路番号がないところは徒歩。
  [周辺地図]

[ 八幡平のプロフィール ]
 北緯40度ラインに位置する八幡平地域は、奥羽山脈脊梁部に位置し、秋田、岩手の二県にまたがる安山岩を主とする約40もの成層火山群で構成されており、東北でも最大級の広域火山地域となっている。火山現象と多雪が長い時間をかけて多くの湖沼と湿原を生み出し、多様な生態系を作り上げている。火山形態も変化に富み、「火山の博物館」とも呼ばれている。

 八幡平温泉郷から八幡平へのアプローチには「八幡平アスピーテライン」と「八幡平樹海ライン」の2本の道路が整備されており、どちらも頂上付近まで車で行くことができる。八幡平地域の最高峰は標高1,613mの八幡平。最高峰とっても八幡平地域はなだらかな高原状の地形となっており、登山口の八幡平山頂駐車場(1,540m)から僅か70m余りの登りで山頂に立つことができる。

イワイチョウ

 八幡平一帯は、東北3県(青森・岩手・秋田)にまたがる十和田八幡平国立公園に含まれている。この国立公園は、湖沼や渓流、山岳からなる公園で、まず昭和11年に十和田湖、奥入瀬渓流、八甲田山の一帯が十和田国立公園として指定され、昭和31年に、八幡平、岩手山、八幡平、秋田駒ヶ岳の一帯が追加拡張されて、現在の総面積85,400haにも及ぶ規模となった。

[ 湿原の花めぐり ]
 宿のご主人は、"朝6時には宿を出発したい" という私の希望を快く引き受けてくれ、朝食だけでなく昼食の弁当まで用意していただいた。朝食は5時半。やはり朝は暖かい味噌汁に限る。6時、ご主人とともに2台の車で宿を出発した。八幡平山頂駐車場までは23kmもあるというのにわざわざ登山口まで送ってくれるという。なんだか申し訳ない気分。

 下山口となる茶臼口バス停付近に私の車を置き、そこからはご主人の車に同乗させていただいて登山口へ向かった。道々周囲の山や花のこと、登山コースの様子などについて親切に教えてくれ、大いに参考になった。6時30分、山頂駐車場に到着。ご主人に2日間お世話になったお礼を述べて別れを告げた。

 登山口からは立派な石畳の道がついている。歩き始めてすぐに一輪だけ咲いているウメバチソウが目に止まった。これも秋の花。いつだったか、盛岡在住のネット友達から "盛岡の山では雪解けになると一斉に花が咲くんですよ" と聞いたことを思い出した。寒い地方なので束の間に過ぎ去ってしまう秋を待ちきれず、夏の間に種を残すための準備をしているのだろうか。

ウメバチソウ オオバタケシマラン キヌガサソウ ナナカマド
ズダヤクシュ ミヤマホツツジ オオバキスミレ マイヅルソウ

 登山道の左手に周りの崖の景色を美しく湖面に映す「鏡沼」という小さな沼があった。この辺りの沼は噴火口跡に水が溜まってできたものが多い。沼の底縁を見るとキヌガサソウが群生している。八幡平ではここだけに生育しているとのこと。暗いうえに花までの距離が遠いため不鮮明な画像となってしまったのが悔やまれる。鏡沼と向かい合うようにして大小の丸い沼が二つ並んでいる。「めがね沼」で、文字通り眼鏡のような形をしており、ご丁寧に鼻かけに相当する部分まである。これも火口湖。

 ゆるやかな道を進むと八幡平頂上を示す標柱が立ち、木製の展望台があった。もう八幡平頂上に着いてしまったのだ。山の頂上といえば周囲とはかなりの高度差があって、それと分かるものだが、"エーッ! ここが頂上?" というほどあっけない感じ。もし標柱がなかったらそこが山頂であることを見過ごしてしまっていたかもしれない。それでも展望台があったおかげで東側に開ける安比高原方面の風景が良く見えた。

ハクサンチドリ シロバナニガナ コオニユリ タカネサギソウ
ワタスゲ ワタスゲ イワオトギリ コバイケイソウ

 頂上から下って三叉路を左に曲がり、「ガマ沼」へ至る道へ出る。ガマ沼は周囲500mの小さな沼。沼の中に3つの火口があり、硫黄コロイドという物質が溶け込んでいるために、沼の水は碧がかった美しい青色をしている。ガマ沼に沿って敷かれた木道を真っ直ぐ進むと岩手県と秋田県の境界ともなっている「見返り峠(1,590m)」、途中から左折すると「八幡沼(1,560m)」の北側に沿って「源太森(1,595m)」へ向かう。

池塘 ニッコウキスゲ シロバナニガナ イワイチョウ
ムシトリスミレ ムシトリスミレ キンコウカ キンコウカ

 時間の制約もあるので八幡沼北側を巻くコースをとる。この辺りは湿原になっていて木道脇には小さな池塘が点在している。付近にはワタスゲやイワイチョウ、ハクサンチドリなどが咲いている。ここで初めてキンコウカ(金光花)を見た。名前の由来のとおり夏の陽を受けて金色に光っている。

 八幡沼は、アオモリトドマツの原始林と高層湿原に囲まれた沼で、水蒸気爆発によってできた数個の火口に周囲の湿原から流出した水が蓄えられ、東西600m、南北200mの日本唯一のアスピーテ火山の火口湖。高層湿原とは、高所にある湿原という意味ではなく、寒冷多湿の気候条件でミズゴケなどの植物遺体が分解されず、泥炭となって多量に蓄積された結果、周囲よりも高くなってしまった湿原をいう。そうした場所では地下水による涵養がなされず、雨水のみで維持されている貧栄養な湿原となる。

八 幡 沼

[ 八幡平の由来 ]
 八幡平、八幡沼、源太森という地名にはどんないわれがあるのだろうか。少々長くなるが、その歴史を紐解いてみたい。

 延暦年間(782〜805年)、岩手山を本拠地とする賊が近隣一帯に暴略の限りを尽くしていた。延暦16年(793年)、時の征夷大将軍坂上田村麻呂は朝廷から賊軍征伐の勅命を受けて出陣し、まず家来の源太忠義、源太忠春兄弟に賊の偵察を命じた。源太兄弟は八幡平頂上付近の一高峰へ登って敵を攻略する糸口を見つけて報告し、その情報をもとに官軍は敵に総攻撃をかけ勝利を収めた。この偵察の際に登った高峰が、現在の「源太ヶ岳(1,545m)」、そこに至る途中の森が現在の「源太森(1,595m)」だと言われている。

 敗れた賊軍は、陣容を整えて再び八幡平へ進攻してきた。源太兄弟が官軍の先鋒として賊軍を迎え撃つため八幡平頂上付近まで来たとき、瑠璃色の湖沼群や高山植物の花が咲いている場所を発見し、その美しさはまるで神が住む場所のようだと大きな感動を覚えた。早速本隊に連絡して全軍を迎え、その地で八幡大菩薩に戦勝祈願を行った。激戦の末、賊軍を滅亡させた官軍は、帰り道に再び八幡平山頂に登って八幡大菩薩に戦勝報告と感謝のお参りをした。都へ戻るに当たり坂上田村麿はこの地を「八幡平」と命名し、これが今に伝えられる八幡平の地名の由来とされている。

ガマ沼付近の湿原

[ 八幡神 ]
 坂上田村麻呂が「南無八幡大菩薩」と言って祈りを捧げたかどうか知る由も無いが、全国にあまた存在する八幡神とは一体どんな神様なんだろう。興味の趣くままに調べてみた。
 八幡神は、阿弥陀如来を本地仏とする神であり、八幡大菩薩とも言う。天応元年(781年)に仏教保護の神として八幡大菩薩の神号が与えられたことから、寺の守護神として八幡神が勧請されるようになり、全国に広まることとなった。

 応神天皇が八幡神とされることから皇室の祖神ともされ、皇室の血を引く源氏も八幡神を氏神として信仰するようになった。清和源氏の流れをくむ源義家は、岩清水八幡宮で元服して八幡太郎義家を名乗った。これ以後、武士の勢力範囲の拡大とともに八幡神信仰は関東・東北にまで広がっていき、鎌倉幕府が岩清水八幡宮から分霊して鶴岡八幡宮を建てて崇敬するようになってからは武神としての性格をいっそう強めるようになった。

[ 源太森から茶臼岳へ ]
 八幡沼を後ろに、湿原を抜けると道は源太森へ続く樹林帯に入る。間もなく左手に「源太森展望台」の標識があり、樹木が覆いかぶさる狭い脇道を少し登ると展望台があった。

 ここは八幡平三大展望地のひとつに数えられているが南側は森に囲まれていて見晴らしはそれほど良いとは思えない。しかし樹林の緑はまばゆいばかりに美しかった。

 再び元の道に戻り、緩やかな下り坂をしばらく行くと視界が開け、広い湿原に出た。八幡平のお花畑ともいわれる黒谷地湿原(1,446m)だ。ここは八幡平の火山活動により川がせき止められてできた広大な湿原で、すぐ近くには「熊の泉」と呼ばれる水場があり、登山者達の休憩地としても有名なところ。湿原の中には色とりどりの高山植物が咲き、美しい風景にしばし見とれていた。山側の土手にはアオノツガザクラ、アカモノ、コイワカガミに混じってムシトリスミレも薄紫の小さな花を輝かせている。

イワイチョウ タカネバラ アカモノ ウサギギク
ハクサンシャクナゲ マルバシモツケ ムシトリスミレ アオノツガザクラ

 黒谷地湿原ではいつまでも写真を撮っていたい雰囲気だった。すでに時刻は12時半を回っている。せめてこの美しい風景を見ながら昼食にしよう。宿で作っていただいた弁当を食べていると20人ぐらいの団体がやってきた。八幡平では観光協会がいろいろなコースメニューを用意し、ガイド付きツアーを組んでいる。団体はどうやらトレッキングツアーらしい。

 さて、八幡平ともそろそろお別れが近づいてきた。車の置いてある茶臼岳登山口まではもう少しの道程。朝からずーっと下り道ばかり歩いていても、傾斜が緩やかなのでなんとも苦痛を感じない。昨日の早池峰登山による疲労の影響も考えて、この日は楽に歩けるコースをと八幡平を選んだのだがどうやら杞憂に終わったようだ。そんなことを考えているうちに茶臼岳山荘(1,550m)へ着いた。

 ここから茶臼岳山頂(1,578m)までは約30mの登り。距離も大してあるわけではなく、一気に登ってみた。ここも源太森、畚岳(もっこだけ 1,578m)とともに八幡平三大展望台の一つに数えられていて、景色は抜群。眼下にはアオモリトドマツに囲まれた熊沼が水面を吹く風に漣を立て、神秘的な雰囲気を漂わせている。

熊 沼

 目を上に転じると、真正面に岩手山(2,038m)が優美な姿を見せていた。岩手山は岩手県の最高峰で、盛岡側から見ると左右対称の端麗な「南部富士」そのものであり、この八幡平方面から見ると山頂から西の犬倉山に向けてなだらかな稜線が美しい弧を描き「南部片富士」と呼ばれている。山頂の火口壁を形作っている外輪山の「お鉢廻り」には、63基の観音像があり、古くから信仰の対照として崇められてきた山としての面影を今に残している。

 詩人石川啄木は、「ふるさとの山に向かひて言ふことなし、ふるさとの山は有難きかな」と、故郷の渋民村から朝な夕なに眺めた岩手山を讃えて詩に残している。深田久弥も、著書「日本百名山」の中で、岩手山を「日本の汽車の窓から仰ぐ山の姿のなかで、もっとも見事なもののひとつだろう」とその美しさを絶賛している。

熊 沼

 岩手山は、もともと鷲の形をした岩があるので「巖鷲山」と言われていたが、岩手の字に変わり、岩手県の県名の由来ともなった。「岩手」の名は、溶岩流によって岩が押し出された所という意味の「岩出(いわいで)」が転じたものと伝えられている。また、いつも霧の中に姿を隠すことから古くは霧山岳とも呼ばれた。

[ 大沼から秋田駒ケ岳へ ]
 茶臼岳から下山して茶臼岳登山口に置いた車まで戻ったら午後1時半を少し過ぎたところ。それでも歩き始めから7時間を経過している。前もって地図で調べたこの区間の標準コースタイムは3時間となっているからほぼ倍以上の時間をかけて歩いたことになる。写真撮影に要した時間を考えるとそれでも早い方かもしれない。

 次の目的地は秋田県に入った大沼温泉の近くにある「大沼」。八幡平アスピーテラインを走って17kmだから約20分もあれば大丈夫だろう。八幡平周辺は東北地方でも有数の温泉地帯で、アスピーテライン沿いだけでもこの大沼温泉のほか、御在所温泉、藤七温泉、大深温泉、蒸ノ湯(ふけのゆ)温泉、後生掛温泉(ごしょがけおんせん)、澄川温泉、赤川温泉、トコロ温泉と、すべてを泊まって回るには一週間あっても足らないぐらいの数がある。

 大沼は、周りをほとんど昔のままの豊かな自然に包まれたところで、標高944m、一周約2kmのこじんまりとした沼である。峰が連なって緑の樹海が波のように続く様を石川啄木が「青垣山をめぐらせる天さかる鹿角の国」と詠んだそのままの景色がそこにある。季節ともなれば、ミズバショウ、ワタスゲなどが群生するという。アスピーテラインに面した八幡平ビジターセンターの向かい側に散策路の入り口があり、一周しても約30分もあれば回ることができる。

ミカヅキグサ トンボソウ タチギボウシ モウセンゴケ
ノリウツギ ホソバノヨツバムグラ コウホネ コウホネ

 時刻は3時少し前。そろそろ今日の宿に向かう時間だ。ここからは約60kmの道程。国道341号線を一路南へ向けて走る。大場谷地があるところで鹿角市から仙北市へ入る。玉川ダムが玉川をせき止めてできた宝仙湖を過ぎると時々田沢湖が見え隠れするようになった。田沢湖は最大深度が423.4mと、日本で一番深い湖としても有名なところ。この東北にあって真冬でも湖面が凍らないという不思議な湖だ。

 宿へ向う前に湖に立ち寄ってみた。湖面には「たつこ像」が金色に輝いていた。これは、「永遠の若さと美貌を願った美しい娘辰子が百日百夜の満願の夜に『北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう』とお告げを受け、泉が枯れるほど飲み続けた。気がつくと辰子は大きな龍になり田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった」との伝説によるもの。

 田沢湖高原温泉の宿へ着いたのは午後4時。まだ時間が早かったので周囲を散歩してみたが目ぼしい花は見当たらず、早々に宿へ戻った。明日の秋田駒ケ岳行きのバスの時刻を確認すると午前6時の始発。バス停は宿から歩いても1,2分のところにあった。宿のおかみさんに翌日の朝食と昼食の弁当をお願いし、花の状態などの情報を聞いて翌日に備えた。
 
秋田駒ケ岳の夕暮れ

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