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花の名山めぐり 〜 蔵王・熊野岳 〜


7月29日(日) 雨時々曇り

[ 行程 ]
蔵王温泉 K53.K12 ==> 刈田峠 蔵王ハイライン ==> 刈田岳 ==> 馬の背 ==> 熊野岳 ==> 刈田岳 ==> 蔵王ハイライン ==> 刈田峠 K12 ==> 駒草平 K12.R457 ==> 宮城川崎IC 山形自動車道 ==> 村田JC 東北自動車道 仙台宮城IC R48.R4 ==> 仙台 R4.K20 ==> 仙台空港 ANA370 ==> 中部国際空港
 (注) 道路番号の「R」は国道、「K」は県道。道路番号がないところは徒歩。
  [周辺地図]


[ 蔵王のプロフィール ]
 蔵王は、山形県と宮城県の県境南部に位置し、奥羽山脈の一部を構成する連峰で、北部の雁戸山から南部の不忘山にいたる山々を総称した名称とされる。「日本百名山」では蔵王山と紹介されているが、蔵王山という特定の山名はなく、単に蔵王と呼ぶ場合は、蔵王連峰の最高峰である熊野岳(1,841m)を中心とした山域を指すことが多い。蔵王を地域的に区分する名称として、熊野岳を境に県境西側を山形蔵王、東側を宮城蔵王といい、また熊野岳付近を中央蔵王、北部が北蔵王、南部が南蔵王と呼ばれている。

 北蔵王から南蔵王におよぶ一帯は、「蔵王国定公園」に指定されている。この公園の大きな特徴は、各種の火山地形を網羅していることで、北には、大東岳(1,366m)を最高峰とする面白火山群があり、中央の北蔵王は熊野岳から馬の背を経て苅田岳(かっただけ 1,758m)までを外輪山とし、五色岳(1,674m)を中央火口丘とする複式火山となっている。また、南蔵王は屏風岳(1,825m)を始めとして、後烏帽子岳(1,666m)、馬ノ神岳(1,586m)、不忘山(ふぼうざん 1,705m)などの火山群が連なっている。

 蔵王は、玄武岩や安山岩からなる火山群で、山体の上部を形成する熊野岳・刈田岳などが噴出した後、山頂部に直径約2kmのカルデラが生じ、その中に中央火口丘の五色岳、火口湖御釜(直径360m)ができた。蔵王の名は、朱鳥4年(690年)に修験道の開祖と言われる役小角が紀伊半島・吉野の金峰山から蔵王権現を不忘山に勧請した事に由来するといい、刈田岳山頂には現在も刈田嶺神社が祀られている。

雨滴のデコレーションをつけたイワオトギリ

[ 雨の朝 ]
 この日は天気が良ければ南蔵王の不忘山への道を時間の許す限り歩いてみようと思っていた。ところが朝起きてみれば生憎の雨。昨日の雨雲が去りきらぬ前に夜が明けてしまったようで、旅行の最終日を晴天で迎えることができなかった。この状態では本格的な山歩きは危険なので、予定を変更して短時間で登れる熊野岳へ行くことに決めた。考えてみれは、梅雨の最中、8日間の旅行日程で連続6日間も天気に恵まれたことの方が不思議なのかもしれない。

 帰りの飛行機は仙台空港を18時45分発と、これまでの北海道旅行の最終日より時間の余裕がある。宿から「蔵王エコーライン」を45分ぐらい走ると、刈田峠から「蔵王ハイライン」入り口に着く。この反対側に「杉ケ峰(1,745m)」「屏風岳(1,825m)」「不忘山(1,705m)」へと続く南蔵王縦走路への登山口がある。不忘山は、名峰・蔵王が古来「忘れずの山」と呼ばれてきた名残を山名として今に伝えている。

[ 熊野岳 ]
 蔵王ハイラインはわずか3km弱の有料道路。終点の刈田岳には広い駐車場とレストハウスがある。とりあえずレストハウスに入って周辺地図を手に入れ、散策を開始。レストハウスの裏手が刈田岳の山頂で、幅の広い立派な散策路を少し登ると刈田嶺神社が祀られていた。天気が良ければここから「御釜」を眺めることができるのだが、残念ながら山頂を覆う霧に姿を隠している。「御釜」は、刈田岳・熊野岳・五色岳の三つの峰に囲まれた火口湖で、その姿が円型のお釜に似ていることが名の由来。

シロバナトウチソウ シラタマノキ マルバシモツケ イワオトギリ
カラフトイチヤクソウ オノエイタドリ シラネニンジン ホソバノキソチドリ

 刈田岳から戻り、今度は熊野岳に向けて歩き始める。散策路は途中で途切れ、小石混じりの道となる。この辺りを「馬の背」と呼んでいる。しかし、名前の割には平坦で、なおかつかなり広々としていて、どこからどこまでが道なのかよく分からない。一定間隔に木のポールが立っており、後で気がついたことだがそれは登山道を示す目印だった。帰路、これが大いに役に立つこととなった。

 馬の背から熊野岳にかけてはところどころにコマクサの群落がある。よく見なければわからないほどの小さな株が多かったが、中にはたくさんの花をつけた堂々たるものもあった。雨に濡れてたっぷり滴を溜めた花はまた風情があっていいものだ。幸い、天気は弱い雨が降ったり止んだりという状態だったので雨間を縫って撮影することができた。

 蔵王の最高峰・熊野岳への道はそれほど急なところはなく、比較的楽に登ることができる。山頂に立ったときには濃い霧に包まれ、ほとんど視界がきかない状態となっていた。熊野岳の山頂には、山形県金瓶村(現在の上山市)を故郷とする歌人・斎藤茂吉が詠んだ「陸奥をふたわけさまに聳えたまふ 蔵王の山の雲の中に立つ」の歌碑がある。これは、斉藤茂吉が蔵王の山頂に立てる碑のために作歌し、自ら筆をとった文字が刻まれている。
 また、ここも信仰の山として山頂の一角には「熊野神社」が祀られている。


ミヤマコウゾリナ 雨滴 シラネニンジン イワキンバイ

[ 駒草平 ]
 山頂からは四方に登山路が伸びていて、どの道を戻ったらいいのか一瞬迷った。霧は一向に晴れる気配もなく、登山道を見つけるのに苦労したが登るときに見たポールが目印となって、無事に駐車場までたどり着いた。「蔵王エコーライン」まで戻ってしばらく走ると、左手に公園らしきところがあったので立ち寄ってみた。名前を「駒草平」というらしい。

コマクサ コマクサ ??? コマクサ

 その名のとおり、柵に囲われたお花畑の中にはコマクサが見事な花をつけていた。また、ここには「滝見台」が設けられており、深い谷の遥か彼方に、蔵王山中の瀑布のうち、もっとも規模の大きな滝で、高さ54メートル、幅は約16メートルという「不動滝」が見えた。絶壁を一気に落ちる滝は豪快そのものだった。
不動滝 駒草平からの風景

 山と人を愛した歌人・百瀬慎太郎は、「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」と、彼の愛する北アルプスへの想いを詠んだ。8日間の旅を続けていても、素晴らしい花や風景を見せてくれたこの東北の地を去りがたく、戻るべき里への想いより、できることならもう少し山の懐に抱かれて時を過ごせたら、というのが偽らざる気持ち。しかし、そうもならず帰途への道を選ぶ。

 駒草平をゆっくり散歩した後、いよいよ山を降りる道に入った。「蔵王エコーライン」をしばらく下り、宮城川崎インターから山形自動車道に入った。道路は空いていて気持ちが良い。村田ジャンクションを経由して東北自動車道を北に向って走り、仙台東インターで高速を降りた。仙台市街へさしかかると、さすがに東北第一の都市だけあってビルが立ち並ぶ。

 仙台は、慶長6年(1600年)、伊達政宗が青葉山に仙臺城(仙台城)を築き、城下町を開いてから栄えた町で、それまで「千代(せんだい)」と呼ばれていたのを伊達政宗が「仙臺(仙台)」と改称したものである。火坂雅志著の小説「臥竜の天」で読んだばかりの伊達政宗がここでも登場するのは偶然とはいえ因縁めいたものを感ずる。

 時刻はまだ4時を少し回ったぐらい。飛行機の出発までには十分な余裕があるが、とりあえずレンタカーを返して、ビールでも飲みながらゆっくりしたい気分。8日間に7回も山登りをしたわりには不思議と疲労感はない。事前のトレーニングが功を奏したのだろうか。レンタカーを納車した後、空港でチェックインを済ませ、レストランに入った。長期旅行ではこれが恒例のようになった。

 いつの間にか雨は上がり、青空さえ見えるようになった。出発30分前になって搭乗ゲートをくぐり、出発ロビーで本を読みながら時を待つ。帰路の飛行機はANA370。やはり今日も満席のようだ。飛行機は定刻に夕暮れが迫る空へ向けて飛び立った。中部国際空港への到着予定時間は午後8時。自宅へは9時30分ごろまでには帰れるだろう。


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