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花の名山めぐり 〜 栗 駒 山 〜


7月27日(金) 晴れ

[ 行程 ]
須川高原温泉 ==> 名残ヶ原 ==> 昭和湖 ==> 須川分岐 ==> 栗駒山 ==> 須川分岐 ==> 展望岩頭 ==> 須川分岐 ==> 須川高原温泉 R342.K282.R398.R457 ==> 池月 R47 ==> 清川 k45 ==> 羽黒山
 (注) 道路番号の「R」は国道、「K」は県道。道路番号がないところは徒歩。
  [周辺地図]


[ 栗駒山のプロフィール ]
 みちのくの中央部に、伸びやかな山裾を広げた優美な山頂を持つ栗駒山(1,627m)は、宮城・秋田・岩手の三県にまたがっており、他の「駒」の名がつく山と同様に、暮春になると、南東斜面に天馬の雪形が浮かぶことから「駒ヶ岳」と呼ばれていた。『栗駒町誌』によれば、「駒ヶ岳の山名は所々にあるので、他と区別するため、栗原郡の北方に聳える山なので、栗駒山と呼ぶようになった」という。

 栗駒山は宮城県側からの呼び名で、岩手県側からの呼び名は須川岳、秋田県側からは大日岳と呼ばれている。栗駒山もこれまで登った山と同じように、信仰の対象として登拝され、山頂には通称「お駒様」と呼ばれる駒形根神社の奥宮があり、駒形根大明神が祀られている。

栗駒山・須川温泉の朝

 登山口のある須川温泉は、栗駒山の中央火口丘である剣岳の北麗に位置し、標高1,126mの高原温泉で、酸性が強い温泉であることから酸川と書かれたものが酢川となり、後に須川になったとされる。その歴史は古く、徳川時代から300年以上にもわたってみちのくの秘湯・湯治場として親しまれてきた。登山道入口から栗駒山の山頂までは距離にして約3.7km、2時間程度で登ることができる。

[ 名残ケ原 ]
 この日は山荘にお願いして6時半に朝食を用意していただいたのでリッチな気分で宿を後にした。出発は7時。登山道に入るとヤマアジサイが萼片に朝露をためて朝陽に煌いていた。なんといっても早朝の楽しみはたっぷりと朝露を含んだ花や葉が見れることで、太陽に透かして見る水滴が虹色に輝くさまは本当に美しい。

ヤマアジサイ マイヅルソウ イワイチョウ イワイチョウ
ミヤマホツツジ ヨツバヒヨドリ ウツボグサ ネバリノギラン

 散策路をしばらく歩くと「名残ケ原」に出る。ここは比較的小振りな湿原で、以前は沼だったところが長い年月をかけて湿原に変化してきたと考えられている。乾燥化が進んで水気が少なくなっており、湿原によく見られる池塘などは見当たらない。湿原には木道が敷かれており、真っ直ぐ進むと栗駒山への登山道となる。途中から右に分かれた木道に入ると「ゆげ山」の周囲を取り囲むようにして散策路が設けられている。

 頂上を目指すにはまだ時間が早かったので脇道に入る。道の両側は背の低い樹木が繁っており、林縁にはウラジロヨウラク、マイヅルソウ、イチヤクソウなどが見られた。間もなく視界が開け、「賽ノ磧」に出る。岩がゴロゴロとした荒涼とした風景。ときどき硫黄の匂いが漂ってくる。散策路を一周するとまた登山口付近に戻った。

イワショウブ イワオトギリ イチヤクソウ ミカヅキグサ
ウラジロヨウラク ウラジロヨウラク ゴゼンタチバナ ホソバノキソチドリ

 再度、名残ケ原に入り、今度は栗駒山へ向けて進む。旅行前に調べたところでは名残ケ原は「お花畑」ということで大いに期待してきたが、来る時季が遅かったのか咲く花の種類はそれほど多くない。やはりこうした湿原では雪解けを待って早々に訪れるほうが良さそうだ。その頃にはきっとミズバショウ、リュウキンカ、ザゼンソウなどの湿原植物が競うように咲いていることだろう。

[ 昭和湖 ]
 名残ケ原を過ぎると本格的な山道になって、写真機材を詰め込んだリュックが急に重く感じられるようになってきた。それもそのはず、道は「剣岳」の登りにさしかかったのだ。次第に陽が高くなり暑さも増してきた。せめてもの救いは左に流れる沢の涼しげな水音。ようやく斜面が緩やかになったと思ったら視界が開け、前方に池が見えた。「昭和湖」だ。

昭和湖

 昭和湖は、昭和19年(1944年)に栗駒山の噴火によって標高1,290mのところにできた火口湖で、神秘的なコバルトブルーの湖面は風が吹くたびにわずかに色を変える。この日、空には筋雲がたなびき、まるで秋を思わせるような天気。湖面の漣がなければ鏡のように周囲の山や緑を映して、一幅の絵のような景観を見せていたことだろう。この美しい風景を観ながらしばし休憩。

 山頂までの道程はここで半ばを過ぎた。もうひと頑張りだ。歩き始めると、先程までとは植物相が徐々に変わり、花数も増えてきた。トキソウを見つけたときは一瞬目を疑った。湿原でもない山道に咲いているとは・・・。いつも見るトキソウと違って花のピンク色が薄く、大きさも小さい。ヤマトキソウかもしれないと図鑑を調べてみたら、ヤマトキソウは花を向けて咲くというからこれはトキソウだと思う。

アキノキリンソウ イワオトギリ アカミノイヌツゲ トキソウ
ハクサンシャクナゲ ハクサンシャクナゲ アカモノ オオバキスミレ

 頂上への道をさらに進むと、登山道脇に白い花。ヒナザクラかなと思って傍に寄ってみると、オノエラン。木陰にひっそりと咲く花だという先入観があったので、こんな道端で出会うとは考えもしなかった。先程のトキソウといいこのオノエランといい、まさかこんな日当たりの良い場所で咲いているとは思っていなかっただけに嬉しかった。

オノエラン。ここで随分写真を撮った。

[ 栗駒山山頂 ]
 12時を少し回った頃、山頂に着いた。栗駒山は、円錐状の裾野をもつコニーデ火山で、剣岳が中央火口だと言われてる。また、栗駒山・焼岳石を中心とする山岳地帯は、昭和43年(1968年)、「栗駒国定公園」として指定され、その広さは岩手、宮城、秋田、山形の4県にまたがり、南北約65q、東西約47qにも及ぶ広大な面積を有している。

 山頂は広く、四方に向けていくつかの登山路が伸びている。ちょうど昼時とあって大勢の登山客が思い々々に昼食をとっていた。昼食後、カメラを片手に周りの風景を眺めていたら "写真を撮りにこられたんですか" と声を掛けられた。"花の写真を撮りに来たけど思ったより少ないですね" と答えると、"つい先程歩いてきたところの沢にたくさん花がさいていましたよ" と言ってその場所を教えてくれた。

 そこは、天満尾根コース(秣岳コース)といわれるところで、秣岳から須川湖へ抜ける尾根道だった。早速行ってみると、鞍部にはまだ残雪があって左側が谷のようになっている。登山道脇の斜面にはイワカガミやヒナザクラ、オオバキスミレなどが一面に咲いており、いい人に出会えことに感謝。

 それはよいのだが、寄り道をしたおかげで気がつくと予定時刻を1時間半近くもオーバーしてしまい、約束の6時には宿へ着けそうもなくなってきた。急いで下山しなくては。

ハクサンシャジン ヒナザクラ ヒナザクラ イワカガミ
ミヤマリンドウ アオノツガザクラ ハクサンチドリ ミヤマシャジン

[ 月山へ ]
 須川温泉に戻ったのは間もなく午後3時半という頃。ここから月山までは約170km。一般道だけの走りだから少なくとも3時間はかかりそう。少し遠回りになるのは承知で、栗駒道路(県道282号線)から、花山湖の傍を通り、池月で国道47号線に出る。この先はほぼ一本道となる。しかし、急いでいる時に限って車が込むものだ。しかもこの土地のナンバーを付けた車のスピードはどれもゆっくりしている。気は逸ってもなかなか思うように進まない。

 新庄まで来てようやくホッとした。それでもやはり30分遅れ。道の脇に車を止めて宿に遅れる旨の電話を入れた。新庄を過ぎ、国道458号線との交差点を越えたところで最上川に架かる「本合海大橋」を渡る。最上川といえば、松尾芭蕉の有名な「五月雨を あつめて早し 最上川」という俳句が頭に浮かぶ。この句が詠まれたのはこの橋から少し上流に遡った「大石田」というところだそうである。

 道は最上川に沿って走っているが、川は波しぶきがあがるほどではない。芭蕉が大石田から舟に乗った頃はかなりの急流だったようで、降り続く五月雨に水かさを増した最上川の流れが速く、ちょっと心細い思いをしたのかもしれない。そんなことに想いを馳せているいるうちに車は月山への入り口となる「清川」にさしかかった。ここを左折すると羽黒山の麓にある今日の宿まで距離ははわずか。

 宿は出羽三山への参拝客の宿坊になっているようで、大勢の泊り客でごったがえしていた。遅くなったことを詫びると、"こんな状態だからかえって助かりました。" と逆にお礼を言われてしまった。「気は心」で、そう言っていただけるとこちらも気が楽になる。信者さんたちは殆どが団体客で、グループ単位に大きな部屋があてがわれているようだった。部屋に案内されると20畳はあろうかというほどの広い部屋で、なんとなく他のお客さんに申し訳ないような気がした。

 いつもは寝る前に風呂へ入るのだが、この日は宿の事情もあって風呂が先。湯上りに飲むビールはことのほか美味しかった。でも、明日は早立ち。2本飲みたいところをグッと我慢して眠りに就いた。


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