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大雪山と湿原巡り 〜 浮島湿原 〜


7月29日(土) 晴れ

[ 行程 ]
上川町日東 R273 ==> 浮島湿原 R273 ==> 上川町日東 R39,R237 ==> ぜるぶの丘 R237 ==> 美馬牛 D824 ==> 拓真館 D824,R273 ==> 美瑛 D824,R273,D37 ==> 旭川空港 ANA326==> 中部国際空港
 (注) 道路番号の「R」は国道、「D」は道道

[ 浮島湿原 ]
 浮島湿原は通称「滝の上高地」と呼ばれる標高870mの台地上に形成され、面積21ha、周囲約3kmの北海道では比較的小規模な湿原である。湿原内に大小70余りの池塘と浮島が点在しているところからその名があり、道内屈指の山地高層湿原と言われる。

 朝6時30分起床。今回の旅行で初めて宿でゆっくり朝食を取った。やはり暖かい食事は美味しい。昨夜の団欒の会話から思いもかけず女子学生と同行することとなり、今日は珍しく二人連れとなった。7時過ぎに宿を出発して国道273号線を紋別方面に向けて走る。目的地までは僅か21km。目標物の浮島トンネルの少し手前で右に折れる登山道のような道があったが、どうみてもそこが湿原への入り口と思えず、そのまま走っていったらトンネルまで来てしまった。

 Uターンも出来ないのでトンネルを抜けると右手に「浮島湿原」の案内看板。右折するといきなりの細い砂利道で少々不安がよぎる。しばらく走ると今にも倒れそうな浮島湿原の道路標識があったので車から降りてみた。湿原への入り口をなんとか探し当てたのだが、どうも獣道のようでとても散策路とは思えない。確か、ガイドブックには湿原への入り口は「広くて整備された道」と書かれていたはず。他に入口があるかもしれないと思ってもう少し先へ行ってみる。

 5分程走ると、今度は、左手に広い駐車場があり、右手に浮島湿原の大きな案内看板が立っていた。紛れも無くここが本来の入口。幅の広い散策路には木屑を細かく砕いたチップが敷かれて柔らかな感触が足元から伝わる。木立に囲まれた道を進むと視界が大きく開けて湿原が見えた。想像していたよりかなり広い。ここにも木道が敷かれていて歩き易い。

 湿原に入ってから同行の女性に、"写真を撮っているときに待っていると退屈するから、2時間後に湿原入り口で落ち合いましょう" と提案し、それぞれが単独行動をとることにした。早朝であるためか、湿原内にはまだ誰も来ていない。大きな池塘には名前が付けられていて、入り口付近にあるのが東ノ沼、その右手に東大沼。湿原の周囲のアカエゾマツの樹林が池塘に映って、いかにも秘境にある沼の雰囲気を醸し出している。

浮島湿原。点在する池塘が美しい。

 池塘にはエゾベニヒツジグサが群生しているが、時間が早いせいかまだ花は閉じられたまま。この湿原も大雪山の沼ノ平と同じように、花の種類はそれほど多くない。湿原の花の見頃は6月上旬〜8月下旬となっているが、もう花の盛りは過ぎてしまったのかもしれない。「北海道の湿原と植物」(北海道大学図書刊行会)という本を調べてみると、植生の中心はやはりコケ類・スゲ類が多数を占めている。

池塘の風景 トキソウ トキソウ ミカヅキグサ
タチギボウシ モウセンゴケ モウセンゴケ ホソバノキソチドリ

 林が迫ってくびれたように狭くなっているところを過ぎると、眼前には更に広い湿原が広がっていた。木道に沿って大沼、北ノ沼、北大沼、森沼、中ノ沼、南大沼、南沼が周りの小さな池塘を従えるように点在している。時々コバルトブルーのイトトンボを見かける。ルリイトトンボ(写真左)である。近づくとすぐに逃げてしまい、たった1枚しか写真に撮れなかった。

 静かな湿原内をゆっくり写真を撮りながら散策していると、山の冷気が身を包み清々しさを覚える。"こんなところで本でも読みながら一日ノンビリできたらいいなあ" と思いつつ時計を見ると9時40分。もう約束の時間だ。タイミング良く彼女もこちらの方へ向かって歩いてきた。帰りの飛行機は午後3時20分発。まだたっぷり時間があるので "美瑛にある拓真館へ寄ってみようと思うけど・・・" と彼女の予定を尋ねたところ "見たことがないので是非行きたい" との返事。
 
 2年前にも拓真館へ行くには行ったがハプニングがあって入館できなかった。今回は浮島湿原の花が以外に少なかったおかげで予定外ではあったが前田真三の写真を見ることができる。これもハプニングというべきか。浮島湿原から拓真館まではおよそ95kmの道程。車の中で彼女に旅行スケジュールを聞いてみると1ヵ月ぐらい気ままに北海道内を回るようで、今日は旭岳温泉の付近の民宿に宿泊し、明日旭岳へ行くとのこと。

[ 拓真館 ]
 美瑛駅の近くにさしかかったとき、丘の斜面に色とりどりの花が咲き乱れてところを見かけた。「ぜるぶの丘」とあった。この辺りは「パッチワークの丘」といって、美しい丘が連なっている。この「ぜるぶの丘」は、平成10年(1998年)、観光客への情報発信のため町の青年達が自力で造った枕木のログハウスと花畑で、「かぜ」「かおる」「あそぶ」それぞれの末尾の文字をとって「ぜるぶ」と名付けたものだという。

ぜるぶの丘の花園

 道は美馬牛(びばうし)で国道273号線と別れて拓真館へと向かう。ナビの示す通りに進むのだが、堤防にぶつかって途中で道が途切れてしまい、よく分らなくなってしまった。再度、国道まで戻り道路沿いのガソリンスタンドで道を尋ねてようやく本来の道へ入ることができた。2年前に拓真館を訪れたときは迷うことなく現地へ行けたのに・・・

 美瑛駅を挟んで西側が「パッチワークの路」、東側が「パノラマロード」に分かれている。パノラマロードは、美瑛から美馬牛にかけての一帯の通称で、新栄の丘、三愛の丘などといった丘やカラマツ林が整然と立ち並ぶ風景はCMのロケ地としてもたびたび登場している。


 拓真館へ向かう途中の丘で遭遇した、丘一面の麦畑の中に赤い屋根の家が一軒だけポツンと建っている風景は、背景の緑と絶妙なコントラストを描き、まるで絵画を見ているようだった。

 拓真館は、丘の町・美瑛を全国に知らしめた風景写真家・前田真三自身が昭和62年(1987)7月に開設した写真ギャラリーで、パノラマロードの中央、間宮の丘の上にある。館内には前田真三の赤麦畑を撮影した代表作「麦秋鮮烈」を始め、美瑛や富良野にひろがる丘の風景を写した写真が飾られているほか、写真集などの販売も行われている。周囲は千代田公園としてラベンダーや白樺が植えられ、華やかな彩りを添えている。

実が拓真館の正面玄関。左は隣接地にあるラベンダー畑

 前田真三は、17年間の商社勤務を経た後、昭和42年(1967)写真ライブラリー「丹渓)」を設立して、写真作家活動に入った。 昭和46年(1971年)、約3ヵ月かけて日本列島縦断の撮影旅行を行い、その帰路、美瑛・上富良野の丘に連なるカラマツ林の美しさに魅せられてしてしまった。以来、二十年以上にわたってこの地を訪れ北の大地・美瑛の四季を中心に撮り続けた。

 館内に展示されている彼の作品を観ると、その色彩の美しさとともに一瞬の天候の変化を見事に捉えて雲や陽の光が小気味良いまでに活かされており、写真というものが正に光の芸術であることを感じさせる。現在の美瑛は俗化され、観光のために造られたような風景もないとは言えず、素朴な味わいが失われつつあるのではないかと危惧したりもするが、彼が活躍した時代には自然のままの本当の風景がそこにあったことを偲ばせる。

 前田真三は、昭和49年(1974年)、初めて写真集「ふるさとの四季」を刊行し、一躍有名となった。昭和62年(1987年)、私費を投じ廃校となった旧千代田小学校の体育館と教室を譲り受けてギャラリー拓進館を開館し、隣りには自宅も建てて移り住んだ。拓真館の名は所在地・美瑛町拓進の地名をとって命名されたものである。その後、多くの作品を発表し、数々の賞を受賞して風景写真家の第一人者となったが、平成10年(1998年)心不全により惜しまれてこの世を去った。享年76歳。

 拓真館を出て、同行の女性を美瑛駅まで送ってから旭川空港でレンタカーを返却し、遅い昼食をとった。いつものことながら、空港でビールを傾けながらのこのひと時は、北海道で過ごした一週間の思い出が去来して、なんとも言えない感慨に浸るときでもある。何事もなく無事に歩き通せた満足感と、旅の終りに際しての一抹の寂しさが複雑に入り混じってこのような感情をつくり上げるのだろう。

 15時20分。ANA326便は予定通り晴れ渡った空に飛び出した。これから2時間のフライトである。帰路も機内は満席で、多くの人が1時間も経たないうちに眠りに入る。時々窓の外を眺め、眼下の地形を見ては飛行機の位置を確かめる。17時20分。飛行機は定刻どおり中部国際空港へ到着した。

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