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大雪山と湿原巡り 〜 層雲峡・黒岳 〜


7月28日(金) 晴れ

[ 行程 ]
層雲峡温泉 ロープウェイ ==> 黒岳5合目 リフト ==> 黒岳7合目 ==> 黒岳頂上 ==> 黒岳石室 ==> 雲ノ平 ==> 黒岳石室 ==> 黒岳頂上 ==> 黒岳7合目 リフト ==> 黒岳5合目 ロープウェイ==> 層雲峡温泉 R39 ==> 流星の滝 R39 ==> 銀河の滝 R39 ==> 大函・小函 R39 ==> 上川町日東 
 (注) 道路番号の「R」は国道、「D」は道道

[ 大雪山のなりたち ]
 大雪山には山肌の色が山名になっている山が三つある。この日に登る「黒岳」と「赤岳」「緑岳(松浦岳とも称される)」がそれである。いずれも麓から山容を眺めたとき、山肌が黒、赤、緑に見えることに由来している。それにしても黒岳を含む表大雪の山々がどうして皆同じような高さで、なおかつ山と山の間が平坦に連なっているのか不思議に思ってそのなりたちを調べてみた。

 地質学的な詳しいことは別として、大雪の山々を造っていった中央火口は「お鉢平」と呼ばれ、大噴火口(カルデラ)があり、この火口を囲むように、永山岳、比布岳、愛別岳、北鎮岳、凌雲岳、黒岳、烏帽子岳、赤岳、白雲岳などの「古大雪火山群」がまず形成され、後に出来た北海岳、間宮岳、中岳などの「新大雪火山群」から流れ出た溶岩によって「古大雪火山群」の山間の凹地が埋められていった結果、このような地形となったものと推測されている。

 主峰の旭岳は最後に出来た山で、3万〜数千年前の火山の爆発によって生まれた成層火山(多輪廻の中心噴火によって噴出した溶岩流・火砕流及び降下火砕物質が山頂火口の周囲に積み重なって生じた複成火山。)である。現在も西斜面の爆裂火口からは白い噴煙を数条吹上げており荒々しい山肌を見せている。大雪山での初日に訪れた「姿見の池」「夫婦池」は、かっての火口に水が溜まって池となったものだという。

 今日の目的地の黒岳は、中央火口を取り巻く外輪の山々の一番外側に位置し、古大雪溶岩で構成されている。それが周氷河期を経た長い間の浸食作用により、独立した山のように見える現在の姿となったもの。この山は、大正13年(1924年)大雪山で最も早く登山コースが開かれた。標高1,290mの五合目まではロープウェイ、五合目から標高1,510mの七合目までリフトが設置されており、標高差830mを約30分で運んでくれる。

[ 山頂のお花畑をめざして ]
 午前6時の始発に乗ろうと、ホテルに車を預けて10分前にはロープウェイ乗り場に着いた。ところが、既に100数十人の観光客が列をなしており、またたく間に列が長くなっていく。乗れたのは次発のロープウェイ。五合目駅の辺りには小さな庭園が設けられていて、ここだけでもそれなりの花を見ることができる。園内を歩いてみると、花についた朝露が朝陽を浴びて虹色の光を放っていた。

朝露を溜めた葉 ウメバチソウ ウメバチソウ オオタカネバラ
エゾツツジ エゾルリソウ エゾルリソウ アカバナ

 ここからリフト乗り場までは歩いて約5分。リフトに近づくにつれて人影が除々に少なくなってきた。どうやら観光客の多くは五合目付近を散策して麓に戻るのかもしれない。そう言えば、服装を見てもサンダル履き姿や軽装の人が多かった。リフトに乗るとその下にはハクサンイチゲ、チシマギキョウなどがところどころに咲いている。後でロープウェイ駅の売店の人に聞いたところによると、観光客用に植えられたものだという。

 七合目まではリフトで約20分。降りたところにもやはり小さな庭園が造られていたが、ここには花が少ない。頂上までは約1時間とあって親子連れや年配の登山者、グループ旅行と思しき中年の女性などが思い々々に花を楽しみながら登っていく。登山道は急坂というほどではないが、山道であることに変わりがなく、撮影道具を背負っているので次第にその重みが増してくる。
 
 登山道の両側にはウコンウツギがところどころに咲き、足元にはハイオトギリが鮮やかな黄色を輝かせている。時々止まっては花を撮影しているので休憩の合間に山を登るようなものであり、間断なく見られる花が疲れを忘れさせてくれる。チシマヒョウタンボクは独特の形をしており、図鑑でしか見たことがない花ながらすぐにそれと見分けることができた。

ハイオトギリ ハイオトギリ ウコンウツギ ウコンウツギ
ゴゼンタチバナ チシマヒョウタンボク チシマヒョウタンボク キンポウゲ

 ミヤマクワガタを見つけて夢中になって撮っていたら、背後から "がんばっていますねぇ" の声。振り返ると私より少し年配の一人の男性が立っていた。写真の話などを伺っているうちにこの方も北海道一人旅を楽しんでおられることがわかった。それも20日間という長期旅行で北海道の国立公園をすべて回る計画を立て、その途中に大雪山へ立ち寄ったとのこと。

 "定年後、5か年計画を立て毎年テーマを持って全国を旅行しています" という。なんだか羨ましい話だが、定年退職後も再び仕事に就き、サラリーマン生活を続けているわが身にはとても真似をすることができない。でも、長いようでも短い人生。自分の思うように生き、実行する行動力には見習うべきものがあると思った。

カラマツソウ シナノキンバイ ゲンノショウコ ミヤマクワガタ
ミヤマクワガタ ダイセツトリカブト ハクサンチドリ ハクセンナズナ

 八合目にさしかかると谷側の斜面にダイセツトリカブトを見つけた。これは大雪山の特産種。今回の北海道旅行では初見の花が41種類あり、その大半は大雪山で見たもの。黒岳では11種類を数える。傾斜が緩やかになった頃、左前方に大きな岩が見えた。マネキ岩だ。頂上はもう近い。そう思うと心なしか足取りも軽くなった。

タカネトウチソウ ヨツバシオガマ マネキ岩

[ 黒岳頂上 ]
 午前10時。最後の急坂を登りつめるとパッと視界が開けた。黒岳頂上だ。南には山腹に多くの雪を残した北海岳、烏帽子岳、赤岳、西には凌雲岳、北鎮岳、中岳が連なる。背後の山は桂月岳。素晴らしい眺望をしばし楽しんだ。それも束の間、アッという間に下から雲が湧き出し、北海岳を包み込んでしまった。山の天気はまことに変わりやすい。ただ、天気が大きく崩れそうな気配はなく、部分的な雲の広がりのようだ。

黒岳頂上から北海岳を望む 烏帽子岳方面

 黒岳のお花畑は頂上から黒岳石室へ降りる道の両側に広がる。どの花も高山植物特有の背丈が低く可憐なものが多い。風を避ける木立も無く、強風にさらされながら生き抜くためには大地にしっかりと根を張り、背を縮めて身を守るしか方法がないのだろう。また、高山植物は冷涼な環境に置かれていることから1年の生育期間が短いため多年草が多く、コマクサのように数年もかかってようやく開花するものもある。

 最近は100名山ブームやトレッキングを楽しむ人が増えて中高年層を中心に山を訪れる人が多くなった。それはそれで結構なことなのだが、登山用のストックで花を傷つけたり、平気で高山植物を踏みつけるなど、マナーの低下も見られる。挙句の果てにはゴッソリ盗掘といった嘆かわしい行為の跡すら何度も見かけた。アメリカの国立公園に伝わる有名な言葉「とるのは写真だけ、残すのは足跡だけ」のとおり、「山の草花を盗らず、山を汚さない」というマナーだけは守りたいものだ。

チシマツガザクラ チシマツガザクラ イワギキョウ イワギキョウ
イワギキョウ 色とりどりの花 エゾツツジ メアカンキンバイ

 登山道脇にはイワギキョウ、メアカンキンバイがまだらの帯を作っている。その外側にはエゾツツジ、チシマツガザクラの群落が絨毯を敷いたように広がり、ところどころにイワブクロが薄紫のポイント模様を添えている。砂礫と岩だけの痩せた土地によくもまあこんな美しい花が咲くものだと思う。

メアカンキンバイ コマクサ イワブクロ イワブクロ
エゾイワツメクサ タカネオミナエシ マルバシモツケ ???

 コマクサは登山道からかなり離れたところにしか咲いてなく、望遠レンズで撮影したもの。ここのコマクサも一時は絶滅しかかったらしいが関係者の努力によってここまで復元されたものだとう。遠くに点々と咲くコマクサを眺めながら昼食。昨日買っておいたおかずがあって、いつもよりはリッチな気分。同じおにぎりでも山で食べると美味しく感じられるのは何故だろう。

 すぐ下にある黒岳石室から雲ノ平〜北海岳〜松田岳〜荒井岳〜間宮岳〜旭岳へ至るコースは、登りと下りの登山口どちらからもロープウェイを利用できるため日帰りの縦走ができ、景色の変化にも富んでいることから表大雪の銀座通と言われるぐらいよく利用されるコースで、機会があれば是非歩いてみたいものだがいつになることか。

 黒岳石室からまた頂上に向かって登り返す。半ばまで登ったところで突然キタキツネが現れた。断崖のようなところで遠吠えをしているかの如き姿はまるでオオカミ。キタキツネはエキノコックスと言う寄生虫を持っている故に今では嫌われ者になってしまっている。遠くに見る姿は凛々しいのだが・・・

 今日の宿泊地は上川町の日東というところにある一軒宿。麓の層雲峡からはわずか20kmあまり旭川方面に戻ったところにある。時刻はまだ12時を少し回ったところなのでたっぷり時間がある。帰り道ものんびり花を撮りながら降りることとした。七合目から五合目まではリフトを使わず歩いてみようかとも思ったが、往路に見た様子ではそれほど珍しい花が咲いていそうもなく、リフトとロープウェイを乗り継いで層雲峡山麓駅まで下った。

ウツボグサ コガネイチゴ コガネイチゴ
エゾノレイジンソウ ??? シロバナニガナ

[ 層雲峡巡り ]
 層雲峡のなりたちは、大雪山の噴火による火砕流で石狩川が堰き止められて大きな湖(古大雪湖)ができ、やがて満々とたたえられた水が火砕流が冷えて固まった「溶結凝灰岩」の弱い部分を押し破って細い流露を作って流れ出し、激しい水の勢いで溶岩台地を削りとってできた峡谷といわれる。

 層雲峡は、柱状節理と呼ばれる柱状の岩が垂直にそそり立つ断崖絶壁が24kmに渡って続き、奇観を呈している。柱状節理とは、火砕流が固まって冷えるときに,温度低下とともに溶岩の体積が収縮し,そのために規則的な割れ目ができたものを節理といい、節理は等冷却面に対して垂直に低温側から高温側へ柱状に伸びていくため、柱状の岩(節理)が連なって見えるのがその由来。柱状節理の断面は六角形となることが多い。

 黒岳を下山してから層雲峡見物に出かけた。まず、滝巡りから。層雲峡温泉から車で5分ほど石狩川を遡ると旧国道へ入る道がある。ここが、流星の滝・銀河の滝への入り口。この二つの滝は夫婦滝とも呼ばれ、雄滝沢川から流れ落ちる滝が雄滝の流星の滝(落差90m)、雌滝沢川から流れ落ちる滝が雌滝の銀河の滝(落差120m)である。

 滝の名前はいろいろな呼び名で表されているが、これは命名の変遷によるもので、明治5年(1872年)、開拓使掌高畑利宣が二条の滝に「夫婦滝」と命名。大正5年(1916年)、上川支庁東郷清が夫婦滝に雄滝・雄滝と命名。大正12年、林学博士新島善直が雄滝を流星の滝、雌滝を銀河の滝と詠んだ二首の歌によって現在の名称となった。(「ATTACK 大雪山への誘い」より)

 滝の前には広い駐車場が設けられており、観光バスが次々に入ってくる。確かに落差が大きいだけあって見ごたえのある景色だ。二つの滝の間は公園のようになっていて、大勢の観光客が行き交い、どちらの滝の前でも記念写真を撮る人が列をなすほど居て、じっくり写真を撮れる状況ではない。

流星の滝(雄滝) 銀河の滝(雌滝) 柱状節理が見られる大函

 次に訪れたのが大函。函は、川の両側が立っていて箱のようになっている地形を言い、アイヌ語でも、シュオプ・ニセイ(函の・絶壁)という。先に述べた古大雪湖から水が流れ出た最初の部分が大函付近であったようで、その後に熔結凝灰岩の岩膚の浸食が進むにつれて中に隠れていた柱状節理をもつ函の姿が現れてきたとのこと。何万年にもわたって続けられた自然の営みによって岩が削られ、あのような深い谷が形造られたのを目の当たりにすると、水の持つ力は凄いものだと感嘆させられる。

 大函にも広い駐車場が設けてあり、数軒の土産物屋が立ち並んでいる。車を降りるとすぐにキタキツネがやってきた。隣にあったオートバイの荷物を窺っているようだ。それにしても随分人馴れしている。すると、手に庭箒を持った土産物屋の人がやってきて、箒を振り回したり石をぶつけたりしてキタキツネを追っ払ってしまった。"あのキタキツネはしつこくてねぇ" と苦笑いをしながら話す。やはりここでも嫌われ者。

 時刻は4時半。そろそろ民宿へ向かう時間だ。国道39号線に戻り、車を走らせること約15分。宿は畑の中に1軒だけポツンと建っていた。一見、一般の民家と同じ造りなので入るのを躊躇していると、庭から奥さんらしき人が出てきたので聞いてみると、間違いなくここが今日の宿だった。

 今日の宿泊客は私を含めて男性4人と大学生らしき女性1人の5人。それぞれ単独行の登山客のようだ。夕食は宿の主人共々皆でお酒を酌み交わしながら、山や写真の話に花が咲いた。酒量が増すにつれてさらに話が弾み、少子化の影響だとか、人間にとって宗教は必要か、といった少々お固い話も飛び出し、夜が更けるまで会話を楽しんだ。このように見知らぬ者同士がザックバランに会話ができるのも民宿ならではのこと。

 夕食後、外へ出てみると空には満天の星。天の川が夜空に大きく横たわっている。こんなに澄んだ星空を見たのは何十年ぶりだろう。子供の頃、銭湯への行き帰りに兄から星の名を教えてもらったことを思い出した。それが天体に興味を持つきっかけとなり、天体望遠鏡が欲しいという気持ちは今でも変わらない。ギリシャ神話や宇宙論の本を読んでいると星への想いは尽きることがない。

 就寝間際、明日は浮島湿原へ行って午後に帰る予定と話したところ、旭川まで行く予定という女性に男性客の一人が話しかけ、 "同行させてもらったらどう?" と薦めた。"午前中だけでよかったらどうぞ" と答えると、"それでは" と話が進み、一緒に浮島湿原へ行くことになった。


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