釧路湿原・鶴の舞

 春間近の 2006年3月初旬、北国・北海道はまだ厳冬の中にあった。白銀の野に群れ集う サルルンカムイ(湿原の神)・タンチョウ を求めて、2年ぶりに釧路湿原を訪れた。鶴たちの華麗な舞、愛情細やかなそのしぐさは、期待に違わず心打つものがあった。


[ 旅 程 ]

3月2日(木) 中部国際空港 (12:25発 JAL3131便) 〜 釧路空港 (14:10 着) 〜
釧路市丹頂鶴自然公園 〜 阿寒国際ツルセンタ 〜 鶴居・伊藤サンクチュアリ 〜
ホテル (釧路市内)
3月3日(金) ホテル 〜 阿寒国際ツルセンター 〜 鶴居・伊藤サンクチュアリ 〜 ホテル (釧路市内)
3月4日(土) ホテル 〜 細岡展望台 〜 コッタロ湿原展望台 〜 鶴居・伊藤サンクチュアリ〜
阿寒国際ツルセンター 〜 釧路空港 (14:45発 JAL3132便) 〜 中部国際空港 (17:20着)

[ 3月2日(木) ]

 昨日まで雨だったとは思えないぐらい穏やかに晴れわたった朝を迎えた。中部国際空港のJAL国内線カウンターで午前11時に友人と待ち合わせ。自宅から現地へは約1時間で行くことができる。少し早めに出て、名古屋駅構内でコーヒーでも飲んでから集合場所に向かうことにしようと、9時半に家を出発した。

 今回の北海道旅行は初めての二人連れ。職場の友人が、かれこれ10年以上も前から北海道へ出かけて鶴の写真を撮っており、時折、名古屋で開催される北海道の写真展の案内状などをいただいていた。2月初旬、たまたま顔を見たので今年の予定を聞くと、3月初旬に行くという。話をしているうちに、いつもは奥さんと出かけることが多いのだが今回は単独行だということが分り、同行をお願いしたら快く了解してくれて、飛行機から宿の手配まですべてお世話になってしまった。

 中部国際空港 (セントレア・・・Centrair) は、昨年2月17日に開港し、3月25日から愛知万博「愛・地球博」が半年間にわたって開催されたことや、見学者が多数訪れたこともあって、開業初年度から黒字になる見込みだという。
 この日の空港は、雨降り後特有の澄み渡った青空で、風もなく、過ごし易い日となった。JAL3131便は定刻どおりに飛び立ち、釧路空港へと向かう。所要時間は1時間45分。眠る間もないぐらいの時間で着いてしまう。
 
 釧路空港に着くと空には雲が広がり、滑走路付近には10cmほどの雪が残っていた。昨日降った雪のようだ。空港の外へ出てみると以外と寒さを感じない。今朝の最低気温はマイナス3.3度とのことだが、体感温度はむしろ名古屋のほうが寒く感じられる。友人から防寒対策は充分するように注意を受けていて、スキーのときに使う帽子、耳あてなどを用意してきたが、この程度の寒さならば必要なさそうだ。

 空港内にあるレンタカー会社で車を借りて早速タンチョウを見に出かけた。今日は時間的にも余裕がなく、いわばロケハンといったところ。最初に訪れたところは「釧路市丹頂鶴自然公園」。ここの名誉園長である高橋良治さんにお会いする予定とのこと。待っている間、しばし身近な鳥を撮影。左はハシブトガラ、右はトビ。

 しばらくすると、にこやかな笑顔を見せて高橋さんが現れた。小柄だがガッシリとした体格。いかにも気さくな感じの方だ。園内を案内していただきながら歩いていると、"あの鶴を見ていて"と高橋さんが言い、鶴に向かって奇妙な声をかけると、それに応えるかのように鶴が鳴いた。話ながら歩いていると鶴が一緒に付いて歩いてくる。どうやら高橋さんとコミュニケーションがとれているようにもみえる。

釧路市丹頂鶴自然公園で 鶴の可愛い目

 飛行機の機内で同行の友人が語ったところでは、高橋さんは、1970年世界で始めてタンチョウの人工ふ化を試み、飼育にも成功したことで有名な方だそうで、70歳を越えた現在でも名誉園長として活躍しておられる。1989年10月には、彼とタンチョウとのふれあいを収めた記録「鶴になった男 〜釧路湿原タンチョウふれあい日記〜」がNHK特集で放映され、これを観たときの感動が友人とタンチョウとの関わりの契機になったという。

 次の目的地は「阿寒国際ツルセンター」。ここは冬の間タンチョウの給餌場となっており、私たちが訪れたときも200羽前後のタンチョウが集まっていた。タンチョウはアイヌ語名が示すとおり、元来湿原に生息する鳥なのだが、かって3万ヘクタールを超えていたと考えられる湿原面積は、宅地や農地として開発された結果、国立公園全体でも1万6千ヘクタールにまで減ってしまい、湿原では餌の確保が困難で給餌場なくしては生存できない。

 タンチョウへの給餌は、1975年、上阿寒の山崎定次郎さんが自分の畑に舞い降りたタンチョウにトウモロコシを与えて初めて給餌を成功させた。定次郎さんが故人となられた後は長男の定作さんがこれを引き継ぎ、1996年には山崎さんの自宅付近に阿寒国際ツルセンターが開設されて給餌を行っている。給餌内容は、毎朝タンチョウが現れる前にデントコーン(飼料用のトウモロコシ)を約60kgほど。自然のエサが少なくなる12月中旬〜3月中旬までは、午後2時に10kgのウグイがまかれている。

 19世紀半ばまで、北海道では稀な鳥でもなかったタンチョウが、乱獲や開発によって1920年代には絶滅したのではないかと言われた時期もあったそうで、その後、20羽前後の生存が確認され、地元関係者の地道な保護活動により、現在では1,000羽を上回るまでに回復したとの調査結果が得られている。しかし、タンチョウの大多数が冬の間は給餌場で生活し、春に湿原の営巣地へ戻るという季節移動を行わざるをえない状況にあるのもまた事実。

阿寒国際ツルセンター おねだり 語らい

 次に訪れたのが「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」。ここは、伊藤良孝氏の給餌場に、タンチョウ保護と生息地の保全を進めるための活動拠点として日本野鳥の会が設置したもので、給餌場のほかネイチャーセンターも開設されている。サンクチュアリの生みの親、伊藤良孝氏は、この地で酪農を営む傍ら1966年からタンチョウに給餌を始め、その後北海道の委嘱でタンチョウ給餌人・タンチョウ監視人を務め、その半生をタンチョウ保護に尽くしたが今は故人となっている。

 サンクチュアリに着いたときには夕暮れが迫ってきており、小雪も舞うようになった。薄暗くてカメラのピントがなかなか合わず、苦労して撮影したが結果は下の写真に見るとおり、やはりピンボケになってしまった。
 寒さも加わり、撮影を早々に切り上げてホテルに向かった。夕食は天婦羅定食。相棒が飲めないのが残念。

サンクチュアリの風景。時が静かに流れる。  小雪の中に佇む

[ 3月3日(金) ]

 窓から差し込む陽の光で目が覚めた。時刻は6時5分。カーテン越しに外を見ると、昇ったばかりの太陽が燦燦と輝いている。夏は4時半に日の出を迎えたのに、この時期では今の時間なんだと、冬であることを改めて実感した。急いでカメラを取り出して写真を撮った。

 ホテルの朝食は7時。お定まりのバイキングだが、美味しかったのでいつも家でとる朝食の倍は食べたかもしれない。いよいよ今日が撮影の本番。天気は上々、心が逸る。昨日通った道を走り、阿寒国際ツルセンターに到着したのは8時15分だったが、既に大勢のカメラマンがベストポイントを選んでカメラをセットしていた。ほとんどは1眼レフ固定焦点望遠レンズをつけたカメラで、まるで大砲のような巨大なレンズをつけている人もいる。私のようなデジスコカメラマンは少数派だ。

鳴き合い
 後日調べたところによると、この日の最低気温は釧路でマイナス5.8度。鶴居村でマイナス10.4度。それでも風がないので寒さをあまり感じない。目の前ではタンチョウたちが思い々々に動いている。3年を過ぎた成鳥はほとんどが番(つがい)単位で行動しており、どこへ行くにもいつも一緒。時々、「鳴き合い」といって、嘴を空に向け2羽が同時に甲高い声を出して鳴く。本によれば互いの絆を確かめ合ったり、威嚇したりするときにこうした鳴き方をするのだという。

 鳴き合い。雄が先に鳴き、それに応えるかの如く直後に雌も鳴く。

  右端の写真の右側にいるタンチョウは、下側の嘴が途中で折れてしまっている。餌の魚を食べるときは、もう一方のタンチョウが食べ易い大きさにして与えるそうだ。なんとも感動的な話である。タンチョウは、ねぐらへ帰るときも必ず雄が合図の鳴声を発して仲良く並んで飛び去る。「鶴は千年、亀は万年」と言われるが、タンチョウの平均寿命は約25年ぐらいだそうで、番になると一生を共に暮らすという。

● タンチョウの舞
 鶴の舞は求愛行動として知られている。しかし、単に求愛だけではなく、時期や季節、雄雌や年齢の違い、単独か群れの別なく舞うそうで、時には威嚇も含まれる行動だとされる。タンチョウの背丈は140〜150cm、体重は7〜10kg、羽を広げると220〜240cmもあり、わが国では一番大きな鳥で翼を広げて舞う様は実に美しい。

まるで挨拶をしているかのようなポーズ

舞の姿には様々なポーズがある。求愛の場面では、舞いの上手・下手が評価の対象になる

舞には喧嘩のときの威嚇のポーズも含まれる。時には右から2番目のような闖入者も

幼鳥も立派に舞う

● タンチョウの交尾
 殆どの鳥がそうであるように、タンチョウも春が繁殖期。交尾には決まった行動パターンがあるようで、雄が嘴を上げながらクックックッと短い連続音を発して合図をすると、雌が羽を拡げて雄の行動を助ける。交尾が済むと、共に「おじぎ」をするように首を下に曲げたり、頭を後ろに反らせて嘴を空に向ける「首まげ」という愛らしいポーズをとる。

タンチョウの交尾 首まげ

● オジロワシ
 阿寒国際ツルセンターの給餌場での餌まきは、通常、2月いっぱいとのことであるが、今年は3月5日まで続けられるそうで、この日も午後2時にウグイやトウモロコシなどの餌がまかれた。そうすると友人から聞いていたとおり、どこからともなくオジロワシが2,3羽餌をとりに現れた。正にその名のとおり尾が真っ白で美しい。時々タンチョウやカラスと餌を争って喧嘩する姿が面白かった。、この日はイギリスからのバードウォッチャーも来ていて盛んにシャッターを切っていた。

 オジロワシは、アイヌ語でオンネウ(老大な・もの)。冬にサハリンやカムチャッカから南下し、北海道の道東・道北地方で繁殖する鳥で体長約90cm、羽を拡げると2mから2m30cmぐらいにもなる。魚を主に食べるというからウグイは好物というのもうなずける。飛んでいるときの姿は短めな白い尾が扇状に広がって、長めで三味線のバチのような形の尾をしたトビとは区別しやすい。

オジロワシは猛禽類だけあって嘴も目も鋭い

 阿寒国際ツルセンターでは心行くまで撮影を楽しみ、十分堪能することができた。4時も近くなると気温はグンと下がり手の指も冷たくなってきた。撮影を切り上げて鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリに立ち寄ってからホテルに戻った。夕食は寿司料理。美味 And 満足。

[ 3月4日(土) ]

 目覚まし時計をセットしたわけでもないのに日の出前に目が覚めた。時刻は5時48分。空はカラリと晴れている。やがて水平線近くの雲が金隈取りになって輝きを増し、太陽が昇るまで刻々と移り変わる空の色を楽しんだ。贅沢な話だが空に少々朝焼け雲があれば言うことなし。

 今日の予定は釧路湿原をドライブして、時間があれば探鳥に充てるというもの。14:45分発の飛行機なので遅くとも1時間前までにはレンタカーを返却する必要がある。ホテルをチェックアウトして最初に向かったところが細岡展望台。2年前に訪れた釧路湿原はほとんど霧の中だったが、今日は大いに期待が持てる。

 道々、車の中から道路の両脇に目をやるとわずか2年の間に随分宅地化が進み、新興住宅地がやたら目についた。わが国で最初にラムサール条約の登録湿地指定を受け、鳥獣保護区指定、国立公園の設定など、法律的な規制は十分なされているのだが湿原の面積は現在も減り続けている。"よそ者の身勝手"と言えばそれまでだが、なんとかこの自然を残す手立てはないものかとも思う。

 土曜日の早朝にしては交通量が多いように感じたがこれも開発の影響と無縁ではないかもしれない。そうこうしているうちに細岡展望台に着いた。駐車場のあるところまで行くと若い夫婦連れが一組だけいた。木立に囲まれた道路から脇道を少し入ったところに展望台があった。

雪に閉ざされた釧路湿原。林の向こうに流れる川が釧路川。
右上の白い山は雌阿寒岳。雄阿寒岳はその右方向にある。


 空は見事に晴れ上がり、蛇行しながら流れる釧路川の向こうに広大な釧路湿原が拡がっている。冬枯れの湿原を隔てた彼方の山々に、真っ白な雪に包まれた優美な雌阿寒岳(アイヌ語で マチ・ネシリ・・・女山)と、雄々しく聳える雄阿寒岳(アイヌ語で ピン・ネシリ・・・男山)の夫婦山を遠望することができる。因みに「阿寒」はアイヌ語で「不動」の意を表す。ふと空を見上げるとグライダーが気持ち良さそうに飛んでいた。

 国道391号線に戻り、達古武沼を経て塘路湖の先の砂利道をコッタロ川に沿って走る。コッタロ湿原展望台に着くと展望台へ昇る階段に雪が積もっている。せっかくここまできたのだから、と手摺に掴まりながら慎重に登るがそれでも2度ほど足を滑らせた。
 ここでもやがて釧路川に合流するコッタロ川のしなやかな流れと、雄大な景色を見ることができた。

 さらに車を走らせ、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリへと向かう。途中、ところどころで車を止め、距離が近くなって大きく見えるようになった雌阿寒岳と雄阿寒岳を撮影した。

雌阿寒岳 雄阿寒岳

 昨日・今日と天気が良かったので営巣地へ旅立った鶴が多かったせいか、サンクチュアリの給餌場では鶴の数が少なく、20羽前後にまで減っていた。撮影もそこそこに、ネーチャーセンターへ立ち寄ってガイドブックなどをもらって今回の旅行の最後となる阿寒国際ツルセンターへと向かった。

 ここでも先程と同じように、鶴の数はかなり減っていたが時間の許す限り撮影することとした。なんとかタンチョウの飛翔する姿が撮れないものかと随分チャレンジしたが、タイミングを取るのが難しい上に飛行スピードが速くてピントが合わず、満足のいく写真が撮れなかったのが心残りであった。

タンチョウの飛翔

オオハクチョウ 


 時間は、過ぎてしまえば速いもの。まして自分の気に入ったことをしているときはなおさら短く感じられる。釧路湿原での3日間はあっという間に過ぎ去ってしまった。初めて観た冬の釧路湿原、そしてタンチョウの美しい姿が、こうして旅行記を書いていても瞼に浮かんでくる。同行の友人がタンチョウに魅せられた理由もなるほど納得できる。また何時の日かの再来を期して、釧路空港から名古屋へと向かった。

 帰りの飛行機の中で、友人が問わず語りに "自分もタンチョウのような夫婦になれたらいいんだけど・・・" と呟いた言葉がとても自然で、印象的だった。 今回の旅行で、準備はもとより、旅行中のすべての世話を引き受けていただき、また、タンチョウの世界へ誘い、共に感動を分かちあってくれた友人に、心から感謝しつつ旅行記の結びとしたい。

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