・涸  


10月10日(金) 名古屋 〜 黒川I.C(都市高速)〜 小牧I.C(東名高速)〜 小牧JC 〜
(中央自動車道) 〜 中津川I.C 〜 R19 〜 木祖村 〜 K26 〜 奈川渡ダム
(仮眠)
10月11日(土) 奈川渡ダム 〜 R158 〜 沢渡 〜 タクシー 〜 上高地 〜 涸沢(キャンプ)
10月12日(日) 涸沢 〜 涸沢岳 〜 涸沢(キャンプ)
10月13日(月) 涸沢 〜 上高地 〜 タクシー 〜 沢渡 〜 R158 〜 奈川渡ダム 〜 K26 〜
木祖村 〜 R19 〜 中津川I.C 〜(中央自動車道)〜 恵那I.C 〜 K66 〜 愛岐道路 〜 名古屋


08年10月10日(金)
 午後7時、市内某所に集合。メンバーは、元の職場関係の酒飲み仲間Kさんとその友人のYさんの合わせて3名。集合場所にマイカーを置いてKさんの車に同乗。私以外は山のベテランで、Kさんは百名山登山を実行中でこれまで90座余の登頂を果たし、来年9月にはすべての山を登り終える予定だという。同行者としてこれ以上心強いことはない。

 仮眠場所の奈川渡ダムに着いてテントの設営をしていたらポツポツと雨の音。天気予報では土曜日の午前中は雨だったのである程度は織り込み済み。気温はこの時期としては予想していたより高く、傍にあった温度計が14℃を示していた。設営が終わってから来る途中のコンビニで仕入れた缶ビールでとりあえず明日からの健闘を祈って乾杯。眠りに着いたときは既に12時を回っていた。


08年10月11日(土)
 五時前に起床。昨夜からの雨はいよいよ本降りになってきた。テントを撤収し、沢渡へ向かう。マイカー規制のため沢渡から上高地へは乗用車は乗り入れ禁止。道路事情や環境への配慮を考えるとそれもやむを得ない。沢渡に車を置き、そこからはタクシー。上高地へ向う道の入口付近にある釜トンネルは、かつて素掘りでゴツゴツとした岩肌が露出していたが、現在はその横に立派なトンネルが設けられている。まだ時間が早いためか、車はそれほど混んでおらず、30分ほどで上高地に着いた。

涸沢から奥穂高・北穂高を望む。


 ここで、上高地から涸沢までの往路の標準コースタイムを示しておこう。
 上高地 -- 0:50 -- 明神館 -- 1:20 -- 徳沢園 -- 1:20 -- 横尾山荘 -- 1:00 -- 本谷橋 -- 2:00 -- 涸沢ヒュッテ
  [ 涸沢周辺地図 ]

 この通り歩くと、合計歩行時間は6時間30分となる。上高地から本谷橋までは比較的平坦な道が続く。歩き始めは快調そのもので、徳沢園へは約2時間足らずで着いてしまった。この間も雨は間断なく降り続いている。横尾山荘付近まで来ると雨が止み、次第に晴れ間も見えるようになった。これまでちょっとオーバーペース気味だったので少しペースダウン。

 本谷橋からはいよいよ本格的な登りに入る。橋を渡るとガレ場のようなゴロゴロとした石の道となり、道幅が狭くなった。斜度も徐々にキツくなってきた。日頃運動不足のせいか、息が上がる。歩みが遅くなって休憩の間隔が次第に短くなる。同行の二人についていくのが精いっぱい。「屏風のコル」にさしかかった頃にはふくらはぎが張ってきてかなりバテ気味。時々立ち止まっては水分補給。その度毎に二人を待たせてしまい、申し訳ない感じ。二人に励まされ、助けられてようやく涸沢にたどり着いた。

       
       
 涸沢のテント場まで上ると涸沢ヒュッテを中心に、右から北穂高岳(3106)、涸沢岳(3103)、奥穂高岳(3190)、吊尾根を挟んで前穂高岳(3090)と、3千mを超える山々が扇状に連なり、雄大なパノラマがそこに広がっていた。一度は自分の目で確かめたかった風景を目の当たりにしてただ感激のひと時。紅葉がまた素晴らしい。ナナカマドはピークを少し過ぎているかとも思うが、まだまだ真っ赤に燃えている。赤や黄色の広葉樹に混じるハイマツの緑が一層美しさを際立たせている。

       
 キャンプ場には色とりどりのテントが所狭しと並び、夕暮れからテントの中に灯るヘッドランプの仄かな明かりが漏れて、少し高い所から見るとまことに美しい。聞いた話では、この連休中の山小屋では1枚の布団に3〜4人で寝なければならないそうだ。テントの数が多いのも頷ける。

 この日はことのほか冷え込んで、衣類を何枚重ね着しても寒い。夕食時、涸沢ヒュッテのテラスでビールと「おでん」で互いの健闘を称え合ってまず乾杯。吹きっさらしのテラスなので冷たい風に手が凍えそう。夕飯はラーメン。ここでは暖かいものが一番の御馳走。夜空に輝く満天の星を眺めたいと思ったものの、余りの寒さに早々とテントに潜り込んだ。


08年10月12日(日)
 昨日の夜はシュラフを口元までかぶって寝ていても、テントの下の石からエアーマットを通して冷気が伝わり、寒さにガタガタと震えていた。おまけに隣のテントで夜遅くまで大きな声で話をしているのが気になってなかなか寝付かれなかった。前日、ヒュッテで日の出時刻を聞いたら5時40分頃ということだったので、5時に起床。なんといっても涸沢での最大の楽しみは、紅葉もさることながら山肌が朝陽を受けて真っ赤に輝くアルペングリューエン。

涸沢の朝。とんがった山は涸沢槍。


 撮影に入る前にトイレを済ませるためヒュッテまで行ってみると、すでに長蛇の列ができていた。山小屋のトイレはすべて有料で、協力金として百円を支払う。長い待ち時間で日の出に間に合うかと心配したが、なんとか滑り込みセーフ。小高いところから撮ろうと、前日にそれなりの場所を物色しておいたが、時間がなくてテント脇からの撮影になった。この日は雲ひとつない好天に恵まれ、陽が昇るにつれて山の頂から徐々に山肌が真っ赤に染まり始めた。期待していた以上の光景で、まさに感動の一瞬。

       
 同行の二人は、今日、涸沢岳へ登るという。私は前日バテたことや、ふくらはぎから太股にかけて張りがあったことからとても登れないと思い、"二人だけで行ってきてください" と言ったのだが、"ここまで来て槍ヶ岳も見ずに帰るのはもったいない" と、半ば強制的?に登頂を勧められた。幸い、疲れはあるものの脚の張りが無くなっていたので逡巡した挙句、意を決して登ることに決定。

 今日のコースは、キャンプ場からザイテングラード(ドイツ語で「支稜線・支尾根」のこと)を通って穂高岳山荘、涸沢岳へ至る標高差800m、片道約2時間30分のコース。キャンプ場から見上げるとかなり急な斜面を登らなければならない。涸沢ヒュッテからザイテングラードの取りつきまではトラバース道のように山を斜め上に向かって登るがそこから先は岩場の連続で、鎖場や梯子もありと、思っていたより更に急な登山道だった。

槍ヶ岳と後立山連峰・立山連峰。


 何度も休憩を重ねてようやく穂高岳山荘(2983)へ着いたときにはもう昼近くだった。先に登った二人はすでに昼食も終えていた。できることならピールでも飲みたいところだけど、そこはジッと我慢の子で、昼食は蕎麦。ここから涸沢岳頂上までは約120m。サブザックを山小屋にデポし、カメラを首に下げただけの身軽なスタイルでまた3人で登り始める。少し歩くと南アルプス・甲斐駒ケ岳の向こうの雲海の中から富士山がうっすらと頭を出しているのが見えた。

 昼食休憩で体力が回復したのか、それほど時間がかからずに涸沢岳頂上に立つことができた。頂上からの眺望は文字通り「嗚呼絶景哉」。槍ヶ岳がまるで目の前にあるように聳え立つ。その向こうには後立山連峰、さらにその奥に立山連峰が続く。反対側に眼をやると浅間連峰から八ヶ岳、南アルプス、中央アルプスが墨絵のようなシルエットで連なっている。やっぱり無理してでも登って良かった。二人からお祝いの握手。ありがとう!。帰り道はザイテングラードから涸沢小屋への道を写真を撮りながら下った。小屋へ着いて真っ先にビール。うまかったあ。テントまで戻ったときにはもう夕暮れが近かった。

       
       

08年10月13日(月)

 いよいよ涸沢ともお別れの日となった。今日も快晴。5時に起床してテントを撤収。携行品をザックに詰め直して6時過ぎに出発。心配していた足の調子はなんとか持ちこたえているようでヤレヤレ。それは良かったのだが、出発する前に朝食と水の用意を忘れてしまい、結局、横尾山荘までポケットに入っていたチョコレートを食べただけで辛い思いをした。横尾山荘では缶コーヒーを一気に2本も飲んだ。徳沢園でようやく遅い朝食にありついた。ここでも蕎麦。

上高地。涸沢はこの向こう側になる。


 徳沢園を過ぎると明神岳(2931)が姿を表す。この辺りの標高は1550m前後で唐松の紅葉も色づき始めといったところ。それでもところどころに赤や黄色に染まった広葉樹を見かける。明神館からは梓川右岸の散策道をとった。路はほとんどが木道になっていて歩きやすい。時々、小さな沢が木道の下を通って梓川に注ぎ込む。透明な水にはイワナやアマゴなども居そうだが見かけなかった。カッパ橋まで下ると大勢の観光客が記念撮影に余念がない。

       
 4日間といっても過ぎてしまえば短いもの。美しい景色を脳裏に刻んで上高地を後に、来たときと同じようにタクシーで沢渡へ。途中、野麦峠スキー場近くの旅館で温泉に浸かり、旅の疲れを癒した。ここでの昼食はスンキ蕎麦。木曽地方の名物料理で、スンキの酸味が効いた味はなかなかイケル。木祖村から国道19号線に入り、中津川から中央自動車道に入ったとたん、恵那から土岐にかけて17km渋滞の電光掲示。3連休の行楽帰りの車で混雑しているようだ。

 相談の結果、恵那I.Cで高速を降り、一般道で帰ることにした。運転していた友人がこの地方の道に詳しく、近道を通ってくれたおかげで1時間近くロスしただけで名古屋に着いた。帰宅したのは午後8時ちょうどだった。今回の山行きでは、思っていた以上に自分の体力のなさに気付かされた。それにしても、登山道ではいつも遅れてばかりいた私に、文句一つ言わず最後まで面倒を見てくれた Kさん、Yさんに感謝したい。本当にありがとうございました。


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