霊  仙  山  

Vol.1
 
06年3月21日(火)
 霊仙山(1,094m)は、鈴鹿山脈最北部に位置する山である。山の名がいかにも宗教と関わりがありそうな感じだったので調べてみると、奈良興福寺の末寺として717年に開かれた霊仙寺に由来すると言われ、伊吹山と並んで古い歴史を持つ。また、この山も先日登った藤原岳や伊吹山と同様に、花の山として知られている。

 名古屋から霊仙山へ行くにはいろいろなコースがあるが、最も分り易いのが榑ヶ畑コースで、頂上までのアプローチも短い。北陸自動車道の米原I.Cを降りて国道21号線を東に向かい、醒ヶ井信号を右折して丹生川沿いに南下すると醒ヶ井養鱒場に出る。さらに未舗装のデコボコした林道を進むと登山口のある榑ヶ畑に着く。

ミスミソウ


 人間の運動能力を決定づける要素に心肺機能と筋力がある。心肺機能は、いわばスタミナのバロメータのようなもので、心肺機能を強化することにより、激しい運動をしている時の酸素摂取量が増えてスタミナがつくことになる。一方の筋力は、瞬発力とか持続力を支えるもので、山登りには長時間の運動に耐えられるだけの持続力が要求される。

 こんなことを書いたのは、今回の山登りが単に花の撮影だけが目的だけではなくて、一種の体力測定の意味合いがあったからで、先日の藤原岳の登山から中二日置いての登山でどの程度体力が回復しているかをチェックしておきたかったことによる。

 前回と同様、朝6時に自宅を出発して現地に着いたのが7時30分。登山口にある駐車場に着いたときは一台も車を見かけなかったが、準備をしている間に4台ほど増えた。まだ太ももの辺りに前回登山のお土産ともいうべき筋肉の張りを少々感じたが、とにかく行けるところまで行ってみようと、登山口に向かった。

 入り口に立てられている木柱の上にある黄色の看板を見ると、ウヘッ!「熊出没注意」の有難くない文字。最近は何処の山へ行っても見かけるが、気持ちがいいものではない。できれば安らかに冬眠したままであることを祈って出発。

 登山路は道というより沢そのもの。幸い水量が少なかったので飛び石伝いに歩くことができる。やがてカナヤという山小屋があり、そこから先の道がよくわからない。後続のグループもここへは初めて来たらしく、皆で協力し合って道を探した。小屋の周りをぐるっと回ってみたら、右手の山にそれらしき道を見つけた。

 20分ほど登ると「汗フキ峠」。まだ早春とあって、汗も出ないうちに峠に着いた。夏ともなればここらで"じわっ"と汗が出てくるのだろう。「看板に偽りあり」とは言うまい。ここで道が二つに分かれ、右へ下ると大洞谷から落合・今畑に抜ける。

 山頂へ向かう左のコースへ入ったとたん、先を歩いていた女性が "あっ、ユキワリソウだ" と嬉しそうな声。見れば、登山路脇の土手のあちこちにセツブンソウより少し小ぶりな白い花が群生している。

登山路脇に咲くミスミソウ。白くて可憐な花だ。


 ミスミソウ(三角草)は別名「ユキワリソウ(雪割草)」。この名前の方が馴染みが深い。スハマソウ(州浜草)と非常によく似ているが、見分けるポイントは葉の先端部分。尖っているのがミスミソウで、弧状に丸くなっているのがスハマソウ。日本海側に咲くミスミソウで葉が大型のものをオオミスミソウ(大三角草)といい、色もピンクや赤紫色、八重咲きのものまであるそうだ。

 登山路はしばらく林の中を進む。先日の藤原岳と比べると傾斜は緩やかだが雪解け水によって道はグチャグチャで歩きにくい。小一時間歩いたところで「10分で 5合目 見晴台」その下に「四合目」の看板。見晴台(右)からは琵琶湖が見えたが曇っていて残念。

 泥濘の道をしばらく行くと左手に霊仙神社の鳥居があった。霊仙山が信仰の山なんだということがこれでも伺い知ることができる。ガイドブックの地図ではこの辺りに「お虎ヶ池」という名の池があるはずなのだが、氷結した池に雪が積もって見えなくなっているらしい。鳥居に掲げられた神社名も色が褪せて文字が判別できない。

 6合目に「お猿が岩」というのがあってゴツゴツとした岩が雪の中から頭を出している。点在する岩がまるで枯山水の庭園を感じさせる。写真を撮ったり、足元が悪くて歩きづらかったこともあって時計は既に10時を回っている。景色を楽しみながらここで大休止と決めた。

 ここから先、登山路は尾根状になっており、ところによってはかなりの積雪量がありそうで、山頂方向まで雪道が続いている。

 20分ぐらい休憩してから雪原に向かって歩き出す。足の疲れが心配だったが今のところなんとか行けそうな感じ。雪は意外と締まっていて、歩いていても少しへこむ程度。少し歩いたところで、右手の岩陰に福寿草が咲いているのを見つけた。全部合わせてもせいぜい10輪程か。

岩陰に咲く福寿草


 霊仙山の福寿草と言えば、西南尾根に大群落があり、登山者は福寿草を求めて今畑登山口から登る人が多い。今回は足慣らしが目的だったのと、雪で開花が遅れているかもしれないとの懸念もあって、最も登り易い榑ヶ畑コースを選んだ。次の機会には是非西南尾根へ行ってみたいと思う。

 15分ほど福寿草を撮影した後、山頂を目指して出発。天気予報では午後から晴れるとのことだったが、むしろ雲は厚くなってきている。登山路は冬枯れの林の中を縫うように続く。この先はどう考えても花が見られるとは思えず、時々 "もう引き返そうか" との衝動に駆られるが、"せっかくここまで来て" と、気を奮い立たせる。

 そうこうしているうちに経塚山(北霊仙山・1,040m)に着いた。もう霊仙山は目前。霊仙山にはピークがいくつかあって、右の写真の左端のピークが三角測量を行う時に地表に埋定された基準点のある三角点(1,083m)、その右が最高点(1,094m)。

 頂上へはいったん下ってからまた登らなければならない。ここでも一瞬、下ることを躊躇したが気を取り直して頂上へ向かった。ようやく三角点(写真左)にたどり着いた。やっぱりここまで来てよかったと思う。最高点(写真右)まではほんのわずか。


山頂は360度のパノラマが拡がり、伊吹山がよく見える。


 三角点から山頂(最高点)までは大した起伏もなく、ものの5分もかからない。晴れていれば、東には養老の滝で有名な養老山地、西に日本最大の湖である琵琶湖、南に御池岳を初めとする鈴鹿の山々、北には伊吹山を望むことができる。しかし、空は上の写真のようにどんより曇っていて、しかも時折小雪さえ舞う生憎の天気。眺望を楽しみながらここで昼食。

 時計は間もなく12時。そろそろ下山の時刻となった。伊吹山(写真左)を背にして先程越えてきた経塚山(写真右)へ向かい、帰路も同じ道を辿る。頂上を極めた達成感からか、足取りが軽い。下り斜面は滑りやすいので慎重を期してジグザクに歩く。

 再び経塚山に登り、ここから先は約1時間半の下り。前方に小屋があるのが見え、往路にそこを通った記憶も無かったがとにかく小屋を目指した。ところがこれがハプニングの始まり。小屋に着くと、それは避難小屋で、入り口に夫婦連れが一組。そのまま通り過ぎようとしたら"休憩していかれませんか? "と声を掛けられた。

 誘われるままに小屋の中に入って話をしていたら、"失礼ですが、あなた先週の土曜日に藤原岳にお出かけになりませんでしたか? " と聞かれ、"はい、行きましたが・・・"と私。"やっぱりそうでしたか、あの時、あなたが福寿草の写真を撮っておられたので、お陰さまで私たちも見ることができました"と、お礼を言われた。聞けば、あれから今日までテント泊まりで山巡りをしているという。

 偶然にも数日の間に、しかも山中で二度も同じ人と出会ったことになる。縁とは真に不思議なものだ。しばらく世間話をしていて別れを告げて先に小屋を出た。入り口に「霊仙山登山道案内板」が掲示してあったので、後日の参考のためにと撮影しておいた。このことが間もなく幸いすることになる。


 歩き始めてしばらくすると道が雪に埋もれて無くなっている。"変だなぁ"とは思ったが、頂上へさしかかる前から吹き始めた強い風に雪が舞って登山道を埋めてしまったかもしれないと思いつつ、辺りを見回すとうっすら足跡らしきものがあったのでそれを頼りに歩く。

 しかし、10分程下ると足跡も途絶えてしまった。小屋で出会った人が来るかもしれないと少し待ってみたが一向にその気配がない。しかもこの先は林になっていて、どこに道があるのかさえ定かでない。もう少し降りて様子をみようか逡巡しながら、何気なしに脇に目をやると、「9合目」の看板が雪の中に立っていた。そこに書かれたもう一つの文字「四丁横崖→」を見てコースを誤ったことを確信した。

 避難小屋に案内看板があったことを思い出し、今来た道を引き返す。登ってみるとかなりキツイ。途中でカモシカに出会った。"これが、もし熊だったら"と考えるとゾッとした。小屋に戻って看板を良く見ると、経塚山の頂上で降りる道を間違えたらしい。そもそも避難小屋は今回のルートから外れていた。

 経塚山までは急な登りで、この時は辛かった。ようやく本来のコースに戻って下山。汗フキ峠で再度ミスミソウを撮影して駐車場へ戻ったら午後3時だった。何はともあれ、中2日空けての登山で完登できたことは大いに自信を持てた。

ミスミソウ

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